浄土宗
青龍山 大雲寺

播磨山崎藩
本多家菩提寺

さずけ地蔵尊

兵庫県宍粟市
山崎町


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歴史・沿革


 
開山上人

開山上人像

当山は元和5(1619) 専誉上人によって開山されたお寺です。

開山 称蓮社専誉上人天樹大和尚は、姓は千葉氏と言い、文禄2(1593)下総国千葉に誕生されました。佐倉清光寺森誉玄愚上人に就いて、剃髪・出家・檀林附法の後、大坂大雲寺に住し、姫路幡念寺を経て、播磨山崎の地に赴き、当地において元和5(1619)815日に、入仏法要が行われました。正保2(1645)当山において世寿52歳をもって遷化されました。

 


本多家位牌堂

本多家位牌堂


当山住職5世源誉上人に至り、延宝7(1679)に本多忠英(政貞)公が大和郡山より転封となってからは当山は本多家の菩提所となり、翌年、堂宇を整え以後菩提寺として、今日までの歴代当主の御霊をお祀りいたしております。 


 


 

本堂全景

        現在の本堂
旧本堂 

明治後期の本堂  
 

当山は、開創以来310年が過ぎ、永年にわたる自然腐朽により、老朽化が進み、昭和52年に庫裡の再建、平成311月にはそれぞれ檀信徒のに寄付により本堂を再建、今日に至っております。
 


尊像  
   
      
       寺宝 城主持仏の尊像 
       
        平成2年に、龍野市立歴史文化資料館において開催された
        「揖保川流域のみほとけ」展に出展の際に撮影された写真。


  城主寄進の観経曼荼羅

    

   縦:260cm 横:200cm 
     (平素は非公開)
  城主寄進の釈迦涅槃図

   

    縦:360cm  横:270cm
     (平素は非公開)
 

山門
     
山門 


弘化2(1845)526日に再建された山門

当山の過去帳によると再建の費用は千草屋平瀬家の一寄進によるものと記載されており、施主名は、大坂梶木町平瀬宗十郎、山崎本町平瀬源右衛門の両名となっています。とりわけ平瀬宗十郎(春温)は当時大坂で両替商を営む豪商でありました。平成20年、大阪歴史博物館において、没後100年最後の粋人「平瀬露香展」が盛大に開催されましたが、その先代の人にあたります。

     平瀨露香展 (大阪歴史博物館 2007年)  資料: リンク_1    一族の絆
          
     
 

さずけ地蔵



      
  
  
   
   さずけ地蔵尊    


本堂の東側に位置していたさずけ地蔵を昭和591月、現在地に移し再建された地蔵堂


さずけ地蔵の由来


享保年間 当時山崎は大火、飢饉が相続き物情騒然たる世相を憂慮された相蓮社實誉上人が、太平祈願を目的として人々の幸福なる日々を切に願い、享保8年(1723)4月15日に地蔵尊を建立されました。この地蔵尊は、信仰深き人々の家々にさずけ事を持って夜間訪ねられ、明け方には地蔵堂に帰られるという言い伝えがあり、別名往来地蔵ともよばれ、この評判を聞いた人々が、脇棚にひかえている分身地蔵2体を持ち帰る、という騒ぎまであったとされています。

宗派を問わず、あらゆる人々の願い事を聞きとげられる

有難い地蔵尊は、爾来 多くの人々に信仰されています。

 

本多藩主 墓所
  本多家墓所

2代、忠方公 深高院殿 享保16年(1731516日 山崎に於いて逝去

最後の当主、渉氏 青龍院殿 昭和59年12月8日逝去




 

 
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