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山門
説明
弘化2年(1845)5月26日に再建された山門
当山の過去帳によると再建の費用は千草屋平瀬家の一寄進によるものと記載されており、施主名は、大阪梶木町平瀬宗十郎、山崎本町平瀬源右衛門の両名となっています。とりわけ平瀬宗十郎(春温)は当時大阪で両替商を営む豪商でありました。平成20年、大阪歴史博物館において、没後100年最後の粋人「平瀬露香展」が盛大に開催されましたが、その先代の人にあたります。
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名称
弥陀三尊
説明
浄土宗寺院の本堂の正面真中におまつりされている仏さまが阿弥陀如来(仏)、向って右が観音菩薩、左が勢至菩薩です。
菩薩とは、もともとは仏になるために修行する人のことを言いましたが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀仏の分身として、その働きを助ける者という考えです。
阿弥陀さまは、どのような人でも区別なくお救い下さいますが、阿弥陀さまが、慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされます。
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名称
開山 称蓮社専誉上人天樹大和尚
説明
開山 称蓮社専誉上人天樹大和尚は、姓は千葉氏と言い、文禄2年(1593)下総国千葉に誕生されました。佐倉清光寺森誉玄愚上人に就いて、剃髪・出家・檀林附法の後、大坂大雲寺に住し、姫路幡念寺を経て、播磨山崎の地に赴き、当地において元和5年(1619)8月15日に、入仏法要が行われました。正保2年(1645)当山において世寿52歳をもって遷化されました。
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名称
城主寄進の観経曼荼羅(平素は非公開))
説明
観無量寿経に基づき描かれた阿弥陀如来を中心とする極楽浄土の絵図、阿弥陀如来を信仰するものは、極楽浄土に往生するといわれております。
山崎藩主 本多家により寄進される。
縦:260cm 横:200cm
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名称
城主寄進の釈迦涅槃図(平素は非公開)
説明
釈迦入滅を横臥する釈迦を中心に菩薩や仏弟子、会衆や動物に到るまでらが、釈迦を取り囲み嘆き悲しむ情景を描いた仏画です。
山崎藩主 本多家により寄進される。
縦:360cm 横:270cm
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名称
寺宝 城主持仏の尊像
説明
平成2年に、龍野市立歴史文化資料館において開催された「揖保川流域のみほとけ」展に出展の際に撮影された写真。
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名称
さずけ地蔵
説明
さずけ地蔵の由来
享保年間 当時山崎は大火、飢饉が相続き物情騒然たる世相を憂慮された相蓮社實誉上人が、太平祈願を目的として人々の幸福なる日々を切に願い享保8年4月15日に建立されたこの地蔵尊は信仰深き人々の家々にさずけ事を持って夜間訪ねられ、明け方には地蔵堂に帰られるという言い伝えがあり、別名往来地蔵ともよばれ、この評判を聞いた人々が、脇棚にひかえている分身地蔵2体を持ち帰る、という騒ぎまであったとされている。
宗派を問わず、あらゆる人々の願い事を聞きとげられる有難い地蔵尊は、爾来 多くの人々に信仰されている
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名称
本堂 内陣天井
説明
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名称
本多家位牌堂
説明
当山住職5世源誉上人に至り、延宝7年(1679)に本多忠英(政貞)公が大和郡山より転封となってからは当山は本多家の菩提所となり、翌年、堂宇を整え以後菩提寺として、今日までの歴代当主の御霊をお祀りいたしております。
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名称
檀家位牌堂
説明
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名称
本多家墓所
説明
本多家
<下段左より>
深高院殿
享保16年(1731)5月16日 逝去
青龍院殿
昭和59年12月8日 逝去
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